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今日の出来事


「三九郎」(穂高神社にて)


松本・安曇野・大北の三九郎・どんど焼き
■2025.1/上;松本や安曇野、周辺市町村で小正月の伝統行事「三九郎」が行われています。
河川敷や田んぼで木材を円すい形に組んだやぐらに正月飾りやだるまを飾り付け、無病息災を願って燃やす。三九郎は人名に由来するなど諸説あるが、各地の「どんど焼き」と同様。子どもが多く参加し、柳の枝に繭玉を付けて、持たして食べる。

■2025.1/11-1/13;3連休中に大町市内各地で小正月の伝統行事「どんど焼き」がピークを迎えた。
おんべを燃やした大きな炎が上がり、参加者が今年1年の無病息災など祈った。

■毎年12/13は「正月始め」・「すす払い節句」と呼ばれ、正月の準備が行われる日と云われ農村では大切な日。
新しい年を迎えるために大晦日まで各地の社寺院や公民館など一般の家庭でも大掃除が行われます。この間に松を飾ったり、しめ縄を作ったり、餅つきをする。年が明けた、1/15は「小正月」と呼ばれ、豊作祈願の餅花やまゆ玉を飾り、 正月の飾りものや書き初めなどを燃やす「どんど焼き」が行われます。松本・安曇野・大北ではこの「どんど焼き」を「三九郎」と呼び、毎年、小正月に各地で一斉に行われています。青竹で作った3本の毬打を組合せたものに正月の門松・ しめ飾り・書き初めなどを飾った「三九郎」。小正月には中信だけでも約800以上の三九郎に火が灯った。昔はどの村・組でも行われていたが、その数は確かに減ってきている。近年では部落や自治会付近に広場が減って、田んぼや河川敷を 貸りてやっていますが、大きなものは駄目らしい。三九郎は管内の消防署に計画を提出しています。

■長野県内では小正月の伝統行事は「どんど焼き」「どんどん焼き」「三九郎」「左義長」などと呼ばれています。
田圃の真ん中に造られた藁の塔。松本・安曇野では「三九郎」と呼ばれています。もともと宮中の行事で「左義長」(さぎちょう)と言われ、青竹で作った3本の毬打を組合せたものに正月の門松、しめ飾り、書き初めなどを飾り、 小正月(1/14ー1/15)にこれを焼き、その年中の病を除くことを願ったものと伝えられています。松本・安曇野では道祖神祭りと結びつき、小正月に今でも各地で行われている子供たちの年中行事。小学生が中心となって家々から集めた門松、 しめ飾り、だるまなどを燃やし、その火で繭玉(米の粉で作っただんご)を焼きます。これを食べれば風を引かない、虫歯にならないと云われています。

■平安時代に天皇が宮廷行事と営まれていた「さぎちょう」が三九郎の元と言われています。
江戸時代の終わりまでに普通の人たちが今のように「三九郎」が行われるようになった。松本平では「三九郎」はこの地に伝えた人の名前でないかとも言われています。昔、病気の流行をふせぎ、村の守り神として置かれた道祖神と関係が深い行事で、 農村部から町部へ伝わったという。「今の時代、子供たちが三九郎をすることで心のありかたを考える機会にすることが大事」と松本市立博物館長。

■「三九郎」は小正月に行われる火祭り。しめ縄・松飾り・だるまなどを集めて三角すいの形に積み上げたものを燃やす。
「年神様を送り返す」意味があるとされ、300年以上前からの伝統行事で、松本市内では400-500カ所以上で建てられる。女鳥羽川や薄川沿いには各町会の三九郎が河川敷に作られ、町行く人の目を引く。

■信州各地ではどんど焼き・三九郎・お松焼き・道祖神祭り・雪祭り・火祭りなど小正月行事が行われています。
その昔、三九郎の作り方は小学生の頃、上級生のやり方を見て覚え、下級生にその作り方を教えていた。作業の役割分担は高学年生が決め、下級生に指示していた。今や、いつの間にか「大人が中心」になって事を進め、子供たちはその大人たちに 指示されたことをやるだけのようで、「三九郎」無事に終わると「今年も無事終わってよかった」と大人。「子供たち自身が考えて作る。そして教えながら伝える。」っていう風にはならないものでしょうか?。指示されただけの体験では 果たして良い伝統が今後も残っていくのか。

■毎年1/15;「成人の日」に行っていた「三九郎」は、2000年以降は「3連休中に変更」する自治会が増えた。
「三九郎」は小正月に集中し、松本や安曇野の梓川・三郷・堀金・穂高・豊科・明科や大北の池田・松川・八坂・美麻・大町・白馬・小谷などでは1000基以上の三九郎に火が灯っていた。しかし、2000年の松本では、1/9;78ヶ所、1/14;64ヶ所、 1/15;193ヶ所、1/16;26ヶ所とばらつきがあった。休日法改正や生活様式の変化に伴い、1月の3日間がピークで、1/15までの休日に計400-500ヶ所で行われています。「三九郎」にはどうしても男手が必要で、子供たちの参加が難しいことが 挙げられます。今や伝統行事も子供たちのものではなく、大人達のものになってきているのは寂しい限りですが、年初行事である「三九郎」を「できれば小正月に」と願う大人は多い。

■2024.1/6;正月3連休初日、松本では小正月の伝統行事「三九郎」が行われた。
田んぼや河川敷で松飾りやダルマで飾ったやぐらが立ち、無病息災や家内安全を願って繭玉を焼く子供らの明るい声が響いた。松本広域消防局によると、管内(松本,安曇野,塩尻,東筑摩)約90ヶ所で行われた。1/7;約420ヶ所をピークに1/14まで行われる。 松本市街地の若松町PTAは、地元の小学生らが町会内の約50戸を回って松飾りやだるまを集め、薄川河川敷の筑摩橋下流に高さ3mのやぐらを立てた。火をつけて、燃える炎を保護者や住民も一緒に見守り、柳の枝に刺した繭玉を焼いて食べ「おいしい」と 笑顔が広がった。町会は「昔の人が思いを込めた伝統行事を子供たちが継承していってくれたら」と。
白金町の沢村公園でも三九郎が行われた。高学年の男子児童を中心に町会役員や保護者と組んだ大小2基のやぐらに点火。風にあおられて大きな炎が上がった。親子らはおき火になるのを待ち、繭玉をかざして焼いた。 町会は「時代に合う形に変えながら伝統行事をつないでいきたい」と。

■木の枝に餅や団子を花のようにつけて飾る「餅花」や「繭玉」などと呼ばれる。
この風習は県内では物作りと呼ばれることが多い小正月の行事。木には地域によってヌルデ、ミズキ、ヤナギなどが使われる。「ヌルデは乗り出すとしてめでたい」「ヤナギは芽吹きが早いからめでたい」などと言われたという。多くは1/14; 米粉を使った団子をつくり、繭や野菜、お金などに見立てた形につくって木の枝につけたり、ぶら下げたりする。お餅を稲穂のような形につくり、「稲の花」と呼ぶところもある。良い農産物ができますようにという願いが込められている。

■2024.1/15;大町「しらかば保育園」で小正月の伝統行事「繭玉飾り」が行われた。
園児24人が地域住民と思い思いの形の繭玉を米粉の団子で制作した。願いを込めてミズキの枝に飾った。

■昔、養蚕業が盛んだった地域では小正月に五穀豊穣を願う伝統の「まゆ玉飾り」が行われています。
地元のお年寄りに協力してもらいながら「まゆ玉飾り」に挑戦。「まゆ玉飾り」は蚕のまゆなどに似せて作っただんごをヤナギの枝に刺して五穀豊穣を願うもので、養蚕業の盛んだった地域の小正月の伝統行事。子どもたちは緑やピンクに色づけした 生地をこね、丸形やドーナツ型など思い思いの形にまゆ玉を整えた。まゆ玉をヤナギの枝に付けて「まゆ玉飾り」を完成させた。

■各地で行われている「どんど焼き」は、最近では次第に田圃や野っ原が少なくなり、田圃でも田が荒れるとの理由で使用されなくなってきたところもあります。三九郎の火で焼いた繭玉を食べると、一年間無病息災で過ごせると言われています。
また、環境問題でダイオキシンが出るからと、禁止する方向と云う寂しいニュースも聞かれるようになってきた。

■深刻化する「不法投棄」や「野外焼却」の急増、「最終処分場のひっ迫」などへの対応策の「廃棄物処理法」。中信・大北の山間部の林や田畑に不当投棄された産廃ごみの問題がクローズアップされている。
1)「排出事業者に対して自らが出した廃棄物が適正に最終処分されたかどうか確認する義務を課す」
2)「排出事業者に対して適正に処理しないことが予想できた場合は原状回復責任を課す」
3)「不法投棄を了承した土地の所有者にも原状回復責任を問う」
4)「不適正な処理をした場合の罰則金は大幅に引上げ」
5)「産業廃棄物処理での都道府県の役割を明記し、適正処理を進める」
6)ダイオキシン類を大量に発生させる廃棄物の野外焼却(野焼き)は、社会慣習上やむを得ない場合を除いて原則禁止。違反した場合は罰則を科す。
野焼きの法令では落ち葉、農業、伝統行事(三九郎・火祭りなど)などでの野焼きは最低許されている。松本や安曇野の「三九郎」は伝統行事なので対象外。


松本の三九郎
■12/中;松本では子ども会育成会が小学生高学年を対象に「三九郎」の作り方の講習会を開催。
大人中心になりがちな伝統行事を子供たちの手で守り伝えてほしいと、地元の大人たちが支柱の立て方や横棒の渡し方などを指導する。子供たちは失敗を繰り返しながら一生懸命に取り組んだ。3本の支柱の上部を縄で結び、そこに付けた縄を 引いて立てた。3本がバランスよく広がらなかったり、縄が切れてしまったり、子供たちは悪戦苦闘しながら三角錐状に支柱を立てた。横棒を結び付け、松をかける縄をからめて完成。子供たちは縄をきつくしばるため何度もやり直し、交代での こぎりで木を切るなど夢中で作業。講習会後にはもちつき大会も行われ親、餅をつき、あんこやきな粉をつけてつきたてを味わっていた。この地区には15町会あり、本番では町会ごとに三九郎を作る。

■松本の複数の町会で「三九郎」の「松集め」が行われた。
子供たちが朝早くからリヤカーを引いて家庭や企業などを回り、門松やしめ飾りを集めた。地域の昔ながらの光景だが、最近は少子化の影響で子供だけでは活動できなくなったり、正月飾りの小型化や雑木林の減少などにより三九郎のやぐらが 小さくなったりと伝統行事は様変わりしている。

■小正月の伝統行事が行われ、松本の河川敷では「三九郎」が始まった。
真冬の夜空を赤々と焦がした。積み上げた正月飾りの松や古いだるまが、煙を上げながら勢いよく燃えると、子どもたちは肩を寄せ合いながら静かに見入った。子供たちが中心となって地域の各家庭から正月飾りを集め、やぐらに火を付けて燃やし、 焼いた繭玉やもちを食べて1年の健康を祈った。各地の河川敷や空き地には、円すい形に組まれたやぐらに松飾りやだるまなどの縁起物が積み上げられ、火が付くと豪快に燃え上がった。地域によっては、点火日を前に子供が三九郎の中で遊んだり、 燃やした後で道祖神にもちを付けて無病息災を願ったりと、昔ながらの風習に沿って実施するところもあった。

■松本の小正月の伝統行事「三九郎」が3連休中にあり、河川敷や田んぼで、だるまや正月飾りを積んだやぐらを焼く炎が上がった。
住民が立ち上る炎と煙に無病息災や家内安全を願った。女鳥羽川河川敷では流域の町会や子供会が組んだやぐらに次々と点火。やぐらはたちまち燃え上がり、竹の骨組みが「パーン」と大きな音を立ててはじけた。子供たちは、木の枝に付けた 米粉で作った「繭玉」を火であぶり、ほおばっていた。

■正月飾りやだるまを組み上げて焼く松本の伝統行事「三九郎」。
松本市街地では空き地や河川敷などで町会ごとに行われる。焚き上げた後には、火で子どもたちが繭玉をあぶる姿は小正月の風物詩。四ツ谷東、金山町は合同で「蚕糸記念公園に」高さ3.5mのやぐらを組み上げた。点火するとたちまち火柱が上がり、 やぐらが崩れていく様子を大勢の親子連れが見守った。火の勢いが落ち着くと、子どもたちは柳の枝に刺した繭玉やマシュマロをあぶった。大人たちの合図で一斉に火に駆け寄ったものの、煙たさに顔をしかめる子どもも。風向きを見ながら、 熱さに負けじと腕を伸ばして火に当て、焼き上がりを頬張った。

■小正月の伝統行事「三九郎」が松本で行われています。厳しい冷え込みの中でだるまや松飾りなど正月飾りが積まれたやぐらが赤々と燃え上がり、多くの家族が焼いた繭玉やもちを食べて1年の健康を願った。薄川河川敷には町会のやぐらが並び 子供と大人が協力して竹の骨組みに松をかぶせて、だるまや松飾りなどを差し込む姿が見られた。筑摩橋のそばでは親子が中心となってやぐらを作り、冬の夕暮れ空に勢いよく炎が上がり、竹が大きな音をたててはじけると歓声が上がった。 子どもたちが米の粉で作った繭玉を三九郎の火であぶって食べ、1年の無病息災を祈った。「松を飾る家が減って集めるのに苦労する」となどと話していた。この年は松本広域消防局に届け出された松本市内の三九郎の実施は1/7(110ヶ所)、 1/8(218ヶ所)、1/14(87ヶ所)、1/15(41ヶ所)だった。

■2024.1月;松本で小正月の風物詩「三九郎」が行われる場所と時間を紹介するマップを制作した。
三九郎は小正月に行われる火祭りで、無病息災を祈り、しめ縄や松飾り・だるまなどを集め、円すい形に積み上げて燃やす。「どんど焼き」「左義長」とも呼ばれます。三九郎の火で焼いたまゆ玉を食べると、1年間無病息災で過ごせると言われています。 松本では女鳥羽川や薄川、田川沿いの河川敷や田んぼなどで各町会の三九郎が作られます。昔は小正月の「成人の日」(1/15)に行っていたが、2000年以降は1月3連休に行う町会が増えています。松本広域消防局によれば管内は例年約800ヶ所以上で、 松本市内でも毎年400-500ヶ所で行われてきた。松本のマップでは1/6-1/8,1/13-1/14;女鳥羽川沿い14ヶ所、蚕糸記念公園3カ所で行われる三九郎を掲載。三九郎の呼称の由来なども紹介。A4判の2つ折りで3000部印刷。東部公民館、中央公民館、 市観光情報センタ、観光案内所、ゲストハウスなどで配布中。

■松本の河川敷や田圃、公園、公民館、お寺などでは住民が炎を囲み、ピンクや緑色の「繭玉」をあぶって食べながら1年の健康を祈った。
松本元町南町会では各戸を回って集めた松飾りやだるまを使って女鳥羽川河川敷に高さ約4mのやぐらを組んだ。17:00;点火、炎が高く上がると集まった住民約80人の顔を照らした。火勢が収まると、子どもたちが柳の枝に付けた繭玉を手に持ち、 残り火を囲んだ。前日に公民館で繭玉づくり。女鳥羽川河川敷では大名町、土井尻町、小柳町など5町内会の子ども会合同の「三九郎」が行われた。5町会から約50人が集まり、門松やしめ飾り、ダルマなどを積み上げて燃やした。子どもらは 米粉のだんごをヤナギの枝に刺した繭玉を三九郎の火であぶり、おいしそうにほお張った。

■松本では小正月の伝統行事「三九郎」が本格的に始まった。
河川敷や田んぼなどで行事が行われ、子供たちが集めた松飾りやだるまがやぐらに飾られ、一年の幸せを願って燃やされた。清水西町会は女鳥羽川の河川敷に、住民が持ち寄ったしめ縄や松飾り、だるまなどを3mの高さに組み上げた。 17:00;火を付けると、はぜる音を響かせながら勢いよく燃え上がった。米粉で作った「繭玉」を三九郎の火であぶって食べると、1年間病気にならないとされる。30分ほどで火の勢いが弱まると、集まった親子連れら40人ほどが、木の枝の先に 付けた繭玉やマシュマロを残り火であぶっていた。清水小の児童は「三九郎は体が温まって好きなので毎年来ている。今年は風邪をひかないようにしたい」。「熱くて顔が燃えるかと思ったけれど、繭玉はおいしかった」と。松本広域消防局に よると、この年は管内3市5村で1/10-1/12;約700カ所で行われた。

■松本入山辺の「徳運寺」近くの田んぼで、厄よけ縁日の火祭りで燃やされる「三九郎」が完成。大きな三九郎が出来上がった。高さは約20mと例年より4-5m高く、根元の直径は約6mに及ぶ。長さ25mのカラマツ約6本を支柱にして松の枝などを詰め、 わら、力ヤ、ヒノキの枝をかぶせて円すい形に仕上げた。三九郎作りに熱心だった会員がこの年に亡くなり、会員たちが友人をしのんで大型の三九郎を仕上げたという。会長は「例年にない立派な三九郎ができた。火祭りではしっかりと燃えて くれることだろう」。

■松本入山辺の「徳運寺」門前で松本の小正月の伝統行事「三九郎」が行われた。
三九郎は、寺と地元の住民有志でつくる「二十日会」が1995年から行い、その大きさが特徴だった。しかし、会員が高齢化し準備が負担となったため、2018年が最後に。豪快に立ち上がる火柱を大勢の住民や参拝客らが見守った。三九郎の高さは 約13m。60-70代の会員が地元産のカラマツとヒノキなどを使って用意。今回は1基だが、始めた当初は3基作ってライトアップもしたという。ただ、作業に危険が伴うこともあって数を減らしてきた。この日は20:00;会員が三九郎に火を付けた。 「バチバチッ」と大きな音を立て勢いよく上がる炎に、見守った人から「すごい」と歓声が上がった。三九郎に火を付けた二十日会は「今年で最後というのは自分たちも寂しい。だが、 いつもより多くの人が見に来てくれてよかった」と。 市教育委員会によると、この年は松本市内では1/6から河川敷などで三九郎が始まり、1/中に約500ヶ所で行われた。

■松本「信大付属松本小」の校庭で松本の伝統行事「三九郎」が行われた。
秋から育てている蚕を通して、三九郎で焼いて食べる繭玉には蚕の成長を願う由来があると学び企画した。児童たちはかわいがった蚕を思い出しながら手作りの繭玉を焼いて味わった。命の大切さや地域の養蚕の歴史などを学ぼうと、 担任教諭が 2018年に400匹分の蚕の卵を用意。児童たちはクワの葉を集めたり手に載せたりとかわいがっていたが、成虫になったのは13匹だったという。児童たちは地区の三九郎に参加し「繭玉と蚕には関係があるのか」という 疑問が生まれた。繭玉には 蚕や生き物が元気に成長するよう願いが込められていると知り、自分たちの三九郎を計画。三九郎には1年や信大付属幼稚園児も参加、校庭には大小約20基のやぐらが並んだ。繭玉を焼いた児童は 「おいしい。蚕も喜んでくれているかな」と ほほ笑み、教諭は「蚕に優しくしたように他の生き物や友達、家族を大切にする大人に育ってほしい」と。

■2025.1/14;松本市内田第5町会の北花見で小正月の伝統行事「おんべ祭り」が行われた。
住民と内田保育園の園児らが参加。華やかな飾り物を作って柱に取り付け、道祖神の脇に立てて無病息災や五穀豊穣を願った。参加者は公民館に集まり、青竹にひもやのりで鮮やかな色紙を付け、2種類の飾りを対象世帯分の26本ずつ用意。 子供たちも紙を切る作業などを手伝った。完成した飾りを手に道祖神まで移動し、柱にくくりつけるとロープを掛けて慎重に引き起こしていった。1/20朝までつじに立て、外した青竹の飾りは各戸に配布して1年間魔よけとする。まとめ役は 「毎年の行事で気持ちが新たになる。1年間無事に過ごせれば」と。内田地区の「おんべ祭り」は北花見など3ヶ所が市の重要無形民俗文化財に指定。

■「美ヶ原高原」の「王ヶ鼻」近くの「王ヶ頭H」では「餅つき」が行われ、新年を祝った。
美ヶ原高原は一面の雪景色と、霧氷の世界が広がっています。大晦日には無病息災・五穀豊穣を願って恒例の「三九郎」が行われた。「三九郎」は松飾りやダルマなどを 集めて燃やして「繭玉」を焼いて食べる。団子を焼いて食べると一年間風邪をひかないといわれています。

■松本「庄内地区公民館」で小学生が正月行事「三九郎」の思い出を詠んだ短歌87点を展示された。
地域の伝統行事を大切に、生き生きと育つ子どもたちを知ってほしいと、庄内地区子ども会育成会などが開いた。色紙に書かれた短歌は「寒い日に/みんなと作った/三九郎/燃えた時には/体ポカポカ」「いちにちで/つくっていても/ゆうがたに/ いっきにもえて/くろうももえた」と、三九郎の思い出を素直な言葉で表現した作品が目立つ。「三九郎をしたときのことを思い出す」と子どもたちの短歌に目を細めていた。

■松本の「国宝松本城」では新年を迎える準備のため、黒門と太鼓門の前に特大の門松が飾り付けられた。
門松の高さは黒門前が3.5m、太鼓門前が3m。わらを巻いたドラム缶の土台に立てた竹は直径が約17cm。縁起物のナンテンの実や松の枝を丁寧に飾り付けて見栄え良く仕上げた。門松は正月明けまで飾り、近隣住民が行う「三九郎」で焼いてもらう。

■2021年;新型コロナ感染拡大により、小正月の伝統行事「三九郎」を実施するかしないか松本では対応が分かれた。
密集を避けるなどの理由で中止を決めた地域では「三九郎で燃やせない正月飾りをどうしたらいいのか」と、住民たちは処理に頭を悩ませる。行う地域でも例年通りとはいかず、感染対策の徹底に腐心している。三九郎は例年、河川敷や田んぼなどに やぐらを組み、正月飾りやだるま、書き初めを燃やす。子供たちは残り火で焼いた繭玉を食べて、1年間の無病息災を祈る。ただ、松本市内ではすでに2021年の三九郎の中止を決めた地域がある。だが「燃やさないしめ縄や松飾りをごみに出すのは 抵抗がある」「神社に持ち込んでは迷惑になるだろう」と。粗末には扱えないため、庄内地区の神田では三九郎を取りやめる替わりに正月飾りを集め、屋外で「お焚き上げ」をする。神田町会は「ごみに出すというのはやはり残念なこと」と。 他方で、大切な小正月の伝統行事として実施する地域も少なくない。マスクの着用や人と人との距離を保つなど対策を講じる予定。子供たちが各戸を巡り、正月飾りを集める際も、住民と接触する機会をなるべく減らす地域もあった。西部にある 子ども会育成会では「2021年は玄関前に置かれたものだけを回収する。チャイムを押し、直接家の人から受け取ることはしない」と。


安曇野の三九郎
■安曇野では「三九郎」の季節。
毎年小正月の伝統行事でしたが、成人の日が変わるようになってここ数年はやる日が地区によってバラツキが出てきました。地域・地区毎に違いはありますが、1月3連休中に行うところが多い。三九郎に使う「繭玉作り」が始まっています。 後世にも引き継ごうと安曇野や大北の各地では小正月の伝統行事「三九郎・どんど焼き・御柱・繭玉・ダルマ・飴市」が週末に各自治区で行われます。穂高・松川村・池田町でも「三九郎」が行われます。繭玉はもともと養蚕で「いい繭ができるように」と 願って作られていた縁起物。蒸して練り上げた米粉で繭や農作物などをかたどり、豊作を祈願する。食紅を加えて赤や黄・緑・オレンジなどに着色した米粉を使い、繭・稲穂・野菜などの形に仕上げられる。七色のナスやキュウリ、カボチャ、 ミカン、キノコなどが次々に完成。干支、雪だるま、巾着の繭玉も作り、ミズブサやシダレヤナギの枝先に飾り付けられる。当日には松や正月飾り、ダルマなどの飾り付けが行われ、晩には火入れされます。しめ飾り、門松、ダルマなどで 組み立てられたやぐらに火がつけられ、火が下火になると子どもたちは餅を木に丸めてつけた「繭玉」や「角もち」を焼いて食べています。
近年では三九郎を行う場所は消防への届けが必要で限定されていますが、安曇野の田圃や自治区民センタ広場、公園、河川敷、公民館などの広場を利用して行われています。火を扱うため、消防署への届け出が必要。穂高でも雪が残る田圃の上に 「三九郎」が立てられ、夕方から点火すると炎が高く上がった。安曇野の田圃でもあちこちで三九郎の火と煙が立ち昇っていた。数分もしないうちに火は三九郎全体に燃え移り、ものすごい炎と煙が冬の空を染めた。三九郎は松や竹を燃やすので 竹が燃えると大きな音が鳴り響いた。

■安曇野各地では12/中から三九郎が立ち始めてきた。
今では三九郎の消防署届、高さの規制、本柱数・底辺の長さ、色々とお伺いをして建てているの現状。三九郎作りに参加する子供たちも今では木登りもしたことない子供たちばかり。おっかなびっくり。上の方が完成する頃にやっと慣れ、 出来上がりには満足していた。新年なれば藁・松飾をつけて完成する。かつては小学生が中心に行う行事でしたが、今では核家族化・少子化で大人が主体のようなところもあります。
だいぶ前に地元ニュースでやっていたが、組立てたばかりの河川敷の「三九郎」の櫓が、本番を前に焼かれる悪質なイタズラが増えたという。楽しみにしている子供達も多いだけに困ったもの。
■穂高・お寺では小正月の伝統行事「繭玉づくり」が行われ、飾り付けられた。
柳の木の枝先にはピンク・白・紫・緑など多彩な色で作られた繭玉が飾り付けられた。通常、公民館などで作られた繭玉は持ち帰って、三九郎で火にあぶって焼くなどして食べ、無病息災や子供たちの健やかな成長を願うと云われています。

■安曇野では230ヶ所以上で「三九郎」が行われています。
正月明けには「穂高神社」や「国営アルプスあづみの公園」、「安曇野ちひろ公園」などの観光地でも行っています。他には七日市場、南豊科、北小倉、梓川倭、柏原、岩原、上原、等々力、北穂高、立足、明科などで行われています。
「国営アルプスあづみの公園」では「三九郎」と「繭玉焼き」が行われた。お餅入りの「ブリ雑煮」や「甘酒」の振る舞いもあった。ブリ雑煮はニンジン、大根、菜などの野菜にブリを入れたお雑煮で安曇野の正月料理です。
「三九郎」を子どもたちに体験してもらおうと毎年行っていて、年末にはダルマやしめ縄、松飾りなどの正月の縁起物を置くためのやぐらづくりが行われていた。公園職員や市民らが協力して作業。市民活動センタを運営する「わの会」の メンバーが協力。公園内の間伐材を利用し園内の道祖神前で作業。3本の丸太を組み合わせた高さ約8mの骨組みを縄で引いて立てわらを掛けた。園内の林から間伐した長さ5mの3本の木と縄を使ってやぐらの骨組みを作った。やぐらには、このあと、 ダルマなどを置くための細い木が取りつけられ、まわりをワラで覆い完成。来園者が持ち寄った正月飾りやだるまなどと一緒に燃やす。同公園は「当日は三九郎がない地域や外国の子どもたちなどにも触れてもらいたい」と。

■「穂高神社」で小正月の行事「三九郎」が行われ、だるまや正月飾りが燃やされた。
「穂高神社」の境内には3本の木を組んで作ったやぐらが設置され、神社に納められた大小のだるまや松飾りなどの 正月の縁起物が約7mの高さに積み上げられた。そして神職がおはらいを行ったあと、地元の中学生がたいまつで火をつけると、 パチパチと大きな音を立てながら炎が高く上がりました。訪れた人たちは燃え上がる炎を見て歓声を上げたり、 カメラに収めたりして、1年間の無病息災を願っていた。食べると1年間病気にならないと言われているコメの粉を練って作った。
新年を迎えると子供たちの行事「三九郎」が行われます。以前は小正月に行われていたが、近年は1/初-1/中にまでの土/日、祝日とさまざまになってきました。 「暮らしに合わせ行事のやり方が変わるのは当然。続けていくことに大きな意味がある」 繭玉を三九郎の火にかざして焼き、楽しそうに食べていた。
※2025.1/13;「穂高神社」南神苑で「三九郎」が行われます。

■2025.1/13;「穂高神社」で小正月の伝統行事「三九郎」が行われた。
毎年恒例の「三九郎」。境内には高さ約6mの「三九郎」が建てられた。参拝者が持ち込んだ「だるま」や正月飾りなどが積み上げられている。約500人が見つめる中、地元の小学生が松明で火をつけると瞬く間に天高く炎が上がった。 火が弱まり、子供たちは柳の枝に付けた繭玉をおき火にかざした。三九郎で焼いた繭玉を食べると健康で過ごせると言われ、子どもたちは少し焦げ目のついた繭玉をおいしそうにほおばっていた。新型コロナ渦の影響で見合わせていた お雑煮やおしるこの振る舞いも6年ぶりに復活。訪れた人は1年の平穏と健康を願いながら三九郎を楽しんでいた。

■2024.1/12;安曇野の「穂高幼稚園」で正月の終わりを告げる伝統行事「三九郎」が行われた。
穂高幼稚園では正月飾りや園児たちの書初めなどを燃やして無病息災を願った。地元に伝わる「三九郎の歌」を歌った。地元消防団の協力で三九郎が点火。勢いよく炎があがると園児たちは手を合わせ、元気な声で願い事をしていた。 園児は新しい年を元気に過ごせるように願っていた。幼稚園では伝統行事の体験を大切にしてほしいと。

■堀金烏川下堀区ではPTAと子供会育成会が協力して区内の田んぼに高さ約8mの「三九郎」を作った。
当日朝から正月飾りや門松、だるまを持ち寄り積み上げた。子供からお年寄りまで約20人年が集まり、火が点火されると、燃え上がる火に無病息災を祈った。おきができると繭玉や銀紙に包んだ餅を手にした子供たちが火の回りを取り囲み、 熱い炎に時折顔をそむけながら焼いて味わった。下堀区は堀金でも最も人口が多く戸数は620戸。「伝統行事を通して新しく越してきた人たちとも絆を深めていきたい」と。

■明科の犀川河川敷では「三九郎」が赤々と燃えていた。
そのバックには冠雪した「常念岳」が映し出されます。廻りを取り囲む子供や親達の素朴な表情がとても晴れやか。明科「竜門渕公園」の犀川河川敷で「三九郎」が燃やされた。市民や小学生らが集まって朝から準備し、門松・ダルマなどを 付けて組み立てた。火が灯ると勢いよく炎が燃え上がり、竹の割れる音が響きわたった。住民らは繭玉や餅、イモなどを持ち寄り、焼いて食べていた。

■穂高等々力町九で住民有志が烏川右岸に高さ9mの巨大な「三九郎」やぐらをつくり、子供たちの三九郎に合わせて点火。区内では小学生、PTAが毎年三九郎を行っているが、地域全体の行事として盛り上げたいと 「大人の三九郎」を提案。 大人の三九郎はこどもたちの倍以上の大きさ。松本入山辺の徳運寺が厄除け縁日の火祭りで燃やす「三九郎」をモデルにしている。使わなくなったはざ掛けの棒6本を骨組みして内側には豆殻を詰めた。やぐらの上部から松の枝を飾りつけ、 縄をらせん状にまきつけ、竹とわらで「等々力町」と文字を形作って完成させた。

■穂高柏原塚原巾上地区は2003年から年越しの晩に燃やす昔ながらの「三九郎」の姿を復活させた。
少子化と保護者の負担増などを理由に途絶えていたが、かつて少年時代に行事を守っていた中年世代が結束して保存会を立ち上げた。巾上ではかつて「親方」の小6生を頂点にした子供集団が自分たちだけで三九郎を組み立て大みそかの晩に 燃やしていた。組み立てた後は隣の地区の子供たちに攻められないよう昼夜集まるのも欠かせない任務だった。しかし子供が減って大人の手が必要になると、忙しい年末では保護者の負担が大きくなり、三九郎は松飾りを燃やすため、 塚原全体で年明けに実施する形になった。保存会は本来の年末に本来の場所で三九郎をしようとの思いで立上げた。昔と同じ道祖神のわきに三九郎を建てた。高さ6mの松の柱3本を組んで9段の横棒を渡した後、地元で調達したわらやキビ、 豆殻で周囲を覆って往時の姿を復活した。「久しぶりにやったなあ」と大人が夢中な姿に引き込まれ、いまの子供たちも高い柱の上に登ったり、わらを運んだりと手伝った。保存会は「三九郎は社会勉強の場だったし、自分たちで何でも 作りながら体でいろんなことを覚えた」。将来は再び子供たちにバトンタッチできるよう継続を願っていた。

12/31;穂高柏原巾上区で伝統の「三九郎」が行われた。巾上区では三九郎を大晦日の行事とする習わしで集まった人たちは、五穀豊穣をもたらした道祖神に感謝し、新年の無病息災を願っていた。穂高柏原の巾上地区では、年越しの晩に 燃やす昔ながらの「三九郎」が行われた。巾上では「神送り」の行事として「三九郎」を大晦日に行う風習があり、子供や住民が道祖神のそばに作られたやぐら周辺に集まって、五穀豊穣をもたらした道祖神に感謝した。

穂高柏原塚原区巾上地区で大晦日に「三九郎」が行われた。一帯ではかつて年越しの晩の三九郎が盛んだったが、少子化や都市化の中で、今も伝統を守る地区は少なくなっている。幅広い世代の地域住民が集まり、一年の無事に感謝しつつ 高々と炎を燃やした。巾上の三九郎は五穀豊穣の願いを込め、稲わらや豆殼など穀類にちなんだ材料で作る。道祖神脇に組み立てられた約5mの三九郎は勢いよく燃え上がり、見守る人たちの顔を赤く染めた。行事を守る保存会は「平穏な地域に 住まわせてもらっていることへの感謝の思いを込めた。子供たちにその気持ちをつなぎ、行事を守っていかなければ」と。

■2022年;穂高柏原の塚原区巾上で「三九郎」が行われた。
大晦日の晩に焼き上げる習わしで、集まった地域住民ら約20人が一年の平穏に感謝し、新年の五穀豊穣と無病息災を祈って燃え上がる炎を見上げた。地元の道祖神の脇に、木の棒や竹、稲わらで高さ約4mのやぐらを作った。道祖神にお参りを してから、火を付けた稲わらをやぐらにくべて点火。炎は勢いよく燃え上がり、時折だるまや竹がはぜる大きな音が響き渡った。三九郎はかつて塚原区の3ヶ所で行われていたが、少子化などで一時期途絶えた。道祖神の祭礼を取り仕切る 「三九郎・御柱保存会」ができ、約20年前に1ヶ所で復活。しかし、近年は加速する少子化や新型コロナウイルス禍の影響で参加する子供が減少していた。今回の三九郎は、これまで子供たちのサポート役だった保存会が主体となって行い、 「健康や豊作を道祖神に祈る行事。子供たちの記憶に残って継承していってほしい」。2023.1/8;道祖神の脇に御柱を立て、新年の神を迎えた。

■1/15;「穂高神社」で小正月の行事「三九郎」が行われ、だるまや正月飾りが燃やされました。
松本や安曇野の松本平では新年を迎えると子供たちの行事「三九郎」が行われます。以前は小正月(1/15)に行われていたが、近年は1/初-1/中の土/日/祝(3連休)とさまざま。「暮らしに合わせ行事のやり方が変わるのは当然、続けていくことに 大きな意味がある」と区長。そういえば、大北では1/上;「どんど焼き」(三九郎)の小正月行事が各地で行われた。家庭から持ち寄った正月飾りなどを竹・木とともに円錐形に汲み上げて燃やし、2012年の1年間の無病息災や五穀豊穣を願った。 地域では少子化の影響で「どんど焼き」が一時途絶えたが、地域に賑わいにつなげようと再開された。残り火でもちを焼く子供たちを見守り、地域の伝統に親しんだ。「大きな火にあやかり、 水害が起きない平和な1年になれば。少子高齢化が 進む中、伝統行事で住民同士のつながりを深め、災害に強い地域にしたい」と区長。
穂高等々力町区で住民有志が川岸に高さ9mの巨大な三九郎やぐらをつくり、子供たちの三九郎に合わせて点火した。区内では小学生、PTAが毎年三九郎を行っているが、地域全体の行事として盛り上げたいと 「大人の三九郎」を提案した。 大人の三九郎はこどもたちの倍以上の大きさ。松本入山辺の徳運寺が厄除け縁日の火祭りで燃やす三九郎をモデルにした。使わなくなったはざ掛けの棒6本を骨組みして内側には豆殻を詰めた。 やぐらの上部から松の枝を飾りつけ、 縄をらせん状にまきつけ、竹とわらで「等々力町」と文字を形作って完成。堀金烏川下堀区ではPTAと子供会育成会が協力して区内の田んぼに8mの三九郎を作った。当日朝から正月飾りや門松、だるまを持ち寄り積み上げた。子供からお年寄りまで 約20人年が集まり、火が点火されると燃え上がる火に無病息災を祈った。おき火ができると繭玉や銀紙に包んだ餅を手にした子供たちが火の回りを取り囲み、熱い炎に時折顔をそむけながら焼いて味わった。下堀区は堀金でも最も人口が 多く戸数は倍以上に増えてきた。「伝統行事を通して新しく越してきた人たちとも絆を深めていきたい」と。
三九郎は門松やしめ縄など正月飾りを燃やした火で米の粉を練って作っただんごや餅を焼いて食べ、病気をしないで1年が過ごせるように祈ります。1200年の平安時代に天皇が宮廷行事と営まれていた「さぎちょう」が三九郎の元と言われています。 200年前に江戸時代の終わりまで普通の人達が今のように行われるようになった。松本平では「三九郎」はこの地に伝えた人の名前でないかとも言われています。昔、病気の流行をふせぎ、村の守り神として置かれた道祖神と関係が深い行事で、 農村部から町部へ伝わったという珍しい行事。「いまの時代、子供たちが三九郎をすることで心のありかたを考える機会にすることが大事」と松本市立博物館は述べていた。

■豊科成相新春の伝統行事「御柱立て」が行われた。
新田区と同時開催するあめ市で引き回す福俵や、縁起物の巾着で飾り付けられた高さ13m、重さ約500kgもある柱を成相コミニュ一ティーセンタ前に打ち立てた。福俵に便うわらの調達や巾着作りなど、秋から準備を進めてきた。 色とりどりの柳花が青空にはためき、参加者から歓声が上がった。成相区は「区最大の祭りを通して、世代間交流を深めたい」と。御柱立ての後、成相地区社会福祉協議会による繭玉作り教室が開かれ、出来上がった繭玉は子供会育成会の 「三九郎」で焼いて食べた。

■1/13;豊科新田区と成相区で市無形民俗文化財の伝統行事「福俵曳き」が行われた。
両区とも法被姿の若衆約20人が稲わらで作られた重さ約60kgの福俵を各区内で曳き回し、威勢のいい掛け声を響かせた。新田区の福俵は新田公民館を出発し、R147を北上して矢原堰で俵を水に漬けて清めた。区長は「区の行事の意識が 新型コロナ禍で薄れてしまったが、昔のように活気ある行事にできれば」と。成相区の福俵は成相コミュニティセンタを出発、八坂神社の境内を流れる川の水で俵を清めた。豊科消防署や安曇野警察署などを巡った。自宅の新築祝いで 福俵の奉納先となった区長は「皆さんにお祝いをしてもらい、さらに盛り上げて楽しい区にしていきたい」と。成相区拝殿前では両区が合流、若衆が各福俵を中心に回りながら、競い合うように何度も豪快に福俵を空中に持ち上げた。

■ある年には豊科光の桜坂区では小正月の伝統行事「三九郎」の実施を見合わせた。分譲住宅が立ち並ぶ区特有の住宅事情があり、煙などによる影響を考慮したため。正月飾りを燃やし、1年間の無病息災や五穀豊穣などを願った。


大町市・池田町・松川村のおんべ・どんど焼き
■大北では松川村、池田町、大町、白馬・小谷など「どんど焼き」が行われています。
大町では常盤、清水、平、三日町、堀六日町、美麻新行、八坂の他、観光向けに中綱の鹿島火まつり、大町温泉郷の夢花火と音の祭典なども。子どもたちの伝統行事に、各地で住民が燃え盛るやぐらを囲んで、子どもたちの健やかな成長を願った。 平借馬では、集まった小学生らによるもちつきを実施。低学年生がきねを振りかぶると、重さに耐えきれずきねがくるくると回り、周りの大人や子どもたちが笑い声をあげていた。常盤西山では子ども会育成会やPTAなどが子どもたちに昔の 文化を知ってもらい、たくましく育ってほしいと「どんど焼き」の火種として木をこすり合わせる昔ながらの「火起こし」を行った。「どんど焼き」は宮中で正月15日・小正月行われた厄払いの行事「左義長」が由来。各地で松飾りやしめ縄など ■2025.1/13;松川村「安曇野ちひろ公園」で小正月の伝統行事「三九郎」を行った。
家族連れなど約160人が参加。昔の風習にならった伝統行事に親しみ、無病息災や五穀豊穣を願っていた。

■2025.1/11;池田町の池田四丁目自治会と子ども会育成会は、新年の伝統行事「三九郎」を開催した。
正月飾りや、2024年1年間家庭などで飾ってあったダルマや縁起物を持ち寄って竹で組んだやぐらとともに燃やし、地域や家庭の無病息災を祈った。小正月の伝統行事として毎年開催、2025年は地域住民ら約30人が集まった。甘酒で新年の 乾杯をした後に点火。燃え盛る炎が青空に良く映えていた。

■2025.1/10;池田町「会染保育園」で恒例の「繭玉作り」が行われた。
緑と黄、ピンクの食紅で色づけした米粉と、白の米粉の4色を使った。豊作や健康を祈願する繭玉の由来や色の意味が説明された。園児たちは丸めたり伸ばしたりしながら農作物やお菓子、花や動物などユニークな形に作り上げた。

■2025.1/5;正月が明けて、大町などでは早くも小正月の伝統行事「どんど焼き」「おんべ」が始まった。
地域住民らが正月飾りやだるまで飾ったおんべを燃やし、炎に無病息災と平穏無事な一年になるように願っている。1/5;大町白塩町自治会は一足早く小正月伝統の「どんど焼き」をほ場で開いた。子どもからお年寄りまで約80人が参加、 正月飾りや書き初めなどをやぐらで燃やして、住民の無病息災や地区の平穏を願った。地区では帰省中の家族も参加しやすく、多くの住民が交流できるよう、毎年1月の第1日曜日に祭りを実施。約7mのやぐらにカヤを積み、子ども会の 小中学生が各家庭を回って集めた正月飾りなどで飾った。年男年女を中心に小学生がたいまつで点火し、住民たちが今年の願いを込めて燃え盛るやぐらを見守った。

■2024.1/6-1/8;3連休に合わせて大北各地で小正月の伝統行事「どんど焼き」「おんべ」が始まった。
地域住民らが正月飾りやだるまなど縁起物で飾ったおんべに火を着け、燃え上がる炎に無病息災と平穏無事な一年になることを願っていた。大町市大黒町では「どんど焼き実行委員会」ら約100人が参加して、旧大町北高Gで実施。 大人がカヤや竹、松を積み上げ、朝から子どもたちが各戸を回って正月飾りやだるまを集めて飾り、約7mの巨大なおんべを作った。

■2024.1/6-1/7;池田町「池田八幡神社」で小正月の行事「左義長」神事を行った。
2024年は各地でどんど焼き・三九郎焼きなどの地区の行事が復活。左義長は小正月の行事で参拝者から寄せられたしめ縄や松飾り、ダルマなどの正月飾りを神社で預かり、お払いをして焼くこと。 天に返して2024年の息災を祈願した。お焚き上げの持ち込みは減ったという。

■2024.1/7;池田町池田三丁目子ども会育成会は小正月の行事「三九郎」を高瀬川河川敷で開いた。
高瀬川大橋に迫る高さまで組みあがった立派なおんべの炎に、無病息災を祈った。

■2023.1/7-1/9;大北各地で小正月の「どんど焼き」「三九郎」がピークを迎えた。
正月飾りやお札などをたき上げる昔ながらの伝統行事。組み上げられた大きなやぐらを燃して、一年の平穏を願っている。

■大北各地で家庭から持ち寄った正月飾りなどを竹・木とともに円錐形に汲み上げて燃やし、1年間の無病息災や五穀豊穣を願った。
地域では少子化の影響で「どんど焼き」が一時途絶えたが、地域に賑わいにつなげようと約20年前から再開。残り火でもちを焼く子供たちを見守り、地域の伝統に親しんだ。「大きな火にあやかり、 水害が起きない平和な1年になれば。 少子高齢化が進む中、伝統行事で住民同士のつながりを深め、災害に強い地域にしたい」と区長。
■大町市内各地で小正月の伝統行事「どんど焼き」が行われた。
正月に飾った縁起物を燃やし無病息災などを願う行事で、一年の無事や飛躍を祈願した。近年は会社勤め世代の増加や少子化などの影響で3ヶ日を過ぎて、子どもの冬休み中の時期に合わせて実施する地域が増えている。この日は市内でも 10ヶ所近くで実施された。

■大北では「どんど焼き」と呼ばれる小正月伝統の火祭りがピークを迎えた。
地域住民らが竹などを使ってやぐらを組んで、正月飾りを燃やして1年間の無病息災を祈った。 大町幸町では年末のわら細工体験で作ったしめ縄を回収、子供の書き初めなどと共にやぐらに飾り付けた。北アを背に激しく燃えるやぐらに向かって、縁起を担いで爆竹を投げ込み、破裂音が響いた。俵町では大町北小の地区PTAが主体となり 開催された。盛大に燃える2基のやぐらを前に子どもたちの健やかな成長を願った。お雑煮やお汁粉が振る舞われ、舌鼓を打っていた。

■大町ではお正月を締めくくる「どんど焼き」が雪原の田圃の中で行われていた。
正月に飾った門松、しめ縄、お守り、だるまなどを持ち寄って積み上げて火をつける。火が燃え広がりパン!パン!と威勢とく竹が燃えていきます。火が弱まると子供たちは繭玉や餅を焼いて一年の無病息災を願った。大人には御神酒が 振る舞われた。でも小正月には早い感じ。1月3連休となり、「七草粥」と同時になった。

大北では「どんど焼き」が小中学生の休みなどに合わせ、一足早く行われた。
大町宮田町では自治会と公民館が中心となり、12〜13mの巨大なやぐらを制作。集まった地区住民約70人が、子どもの健康のほか五穀豊穣や祈願成就を願いながら、巨大な炎の柱を見上げていた。

■正月に飾った縁起物を燃やし無病息災などを願う伝統行事「おんべ焼き」が大北で行われ、小正月前の連休中にピークを迎えた。
大町常盤の西山子ども会育成会では新年の多幸を授けるとされる「歳神様」のより代である門松やしめ縄、だるまなどを子どもたちが地域の家庭から集め、田んぼにおんべが積み上げられた。 訪れた住民や子どもたちが、燃え盛る炎に 今年の健康や活躍を祈願した。

■2023.1月3連休を中心に、小正月の伝統行事「大町文化会館」などで「どんど焼き」が行われた。
松飾りやしめ縄、達磨などで作ったやぐらが燃やされ、住民が立ちのぼる炎を見つめながら1年の無病息災を願った。おき火になると、柳の枝に米粉で作ったお団子の「繭玉」やマシュマロ、お餅などを焼き、1年間元気に過ごせるように味わった。

■池田町では年明けに子供たちが高瀬川の河川敷で刈るっているところを見かけた。
例年なら12/中に「三九郎」用の藁を刈り取ってきてで積んでおくのですが、この年は雪が多く、畑一面に雪が積もっていたため。
池田町基幹センタ近くの田圃で「三九郎」が行われた。4丁目の自治会が小学生らと約6m、4mのやぐらを2基組まれた。子供たちが家々を回ってしめ飾りを集め、やぐらの回りに高く積み上げられた。清酒と塩で清めたあとに点火。 わらや竹が燃えるともくもくと煙が立ち昇り、飾りやダルマが勢いよく燃やされ、無病息災を祈願した。竹の棒にもちを吊るして、残り火でもちを焼いて食べた。会長は「健康に育ってもらいたいという気持だけ」と伝統行事を楽しむ 子供たちにあたたかい視線を送っていた。

■池田町吾妻町では、小学生約40人が地区内の各家庭をまわり、年末にお年寄りらと3世代交流を通じて作った正月飾りなどを回収。2基のやぐらを組み、だるまや破魔矢、しめ縄と一緒に盛大に燃やした。

■池田町のある町民は「ここらの農家はみんな稲作と養蚕で暮らし。お正月の繭玉や稲穂づくりは物心ついた時から当たり前のようにあった」と。
繭玉などは1/14夜につくって飾り、1/15の三九郎に持っていって焼いて食べたり、正月に食べる小豆がゆに入れたりした。あわせて紙に「万物作」と書き、「五風十雨」「五穀豊穣」などの願いを添えて屋内に張った。五風十雨とは 「天候に恵まれる」の意味。5日に1度の風、10日に1度の雨が農作物の成長にいいとされていたことからきている。「繭玉は有名でも、紙の方は知られなくなってきた」と「金の鈴農産物等生産組合」。そこで組合では24年前から 小正月前後に繭玉づくりの会を開き、これと万物作を組合の直売所を訪れる客や商店街などに配っている。飾りには、野菜を使って色づけしたキュウリやナスの形の団子も使ったり、商店街向けの万物作には「商売繁盛」と書いたりと 新たな工夫も。「正月を始めとした年中行事には農にかかわるものが多い。きちんと伝えて、都会の人にも季節感や暮らしのリズムを知ってもらいたい」と。さらにこれをきっかけに農産物、農業にもっと興味を持ってもらえたらと 願っている。

■池田町の半在家、相道寺の2地区合同の「三九郎」が半在家の田んぼで「三九郎」が行われた。
住民は薄暮の空を焦がす三九郎を囲んで炎を見つめ、餅を焼きながら一年の無病息災と五穀豊穣を願った。

■池田町相道寺の「道祖神」は正月飾りのわら細工「やす」を使った屋根造りで、800年近い伝統がある正月の恒例行事。
やすは小さなわら束の根元を結び、円すい状に編んだ正月飾りの一つ。地域住民が杉材の骨組みに700本近いやすを5層に積み重ねる。道祖神の前にしめ縄、縁起物でわら細工の花立てやお神酒おけ、えとにちなみ馬のわら人形も供える。 「やす」は各戸から持ち寄り年末に小学生とお年寄りの交流会で作ったものを使用。模様替えした道祖神で手を合わせ地区の安全を祈っていた。縁起物で毎年屋根をふくことで道祖神を敬い、三九郎で古い屋根を焼き、地区の災難を防ぐ 言い伝えがあるという。道祖神は今年1年の地区の安寧を見守っている。

■2021年;池田町の安曇養護学校中学部は小正月の伝統行事「三九郎」を校庭で行った。
一年の無病息災や飛躍などを祈願。竹や松で組んだやぐらに、生徒が美術の時間につくった作品や書き初め、だるまなどを飾り付けた。教員が「ことしもいい年なりますように」と願いを込め、点火した。パチッパチッと勢いよく燃え盛る炎を 前に 「わぁー」「あったかい」とあちこちで歓声があがった。

■池田町「池田八幡神社」で、どんど焼きや三九郎の名で知られる小正月の火祭り「左義長」を初めて開いた。
感染拡大の影響で各地区での開催が中止となる中、伝統行事を継承しようと、住民が持ち寄った正月飾りをお焚き上げする。宮司によると、左義長は平安時代から伝わる、正月飾りを燃やして年神様を帰すとされる伝統行事。

■池田町内鎌地区で小正月の伝統行事「三九郎」が行われた。
子どもからお年寄りまで約70人が参加、特徴的な大小2つのやぐらを燃やして一年間の無病息災を願った。小6が人気漫画の「鬼滅の刃」にちなんで、刀に見立てた手作りのたいまつでやぐらに点火。大きな火柱があがると歓声が響いた。

■松川村では雪が残る田んぼで「三九郎」を行った。
有明山を望む松川村で、高さ約7mで近所の大人たちと子供さんたちが参加し、青竹で組まれた三九朗に正月飾りの松、藁、繭玉などを飾り付け、てっぺんにはダルマが付けられた。夕方には赤々と燃えていた。松川村東松川ではある年、 太陽光を凸レンズで集め採った聖火で三九郎に点火。子供たちが道祖神の前で火をおこしトーチで点火。お正月のお飾りを集め、周囲には150本のろうそくを灯し装飾する一風変わった「三九郎」に火をつけて燃やす「三九郎」が行われた。 その後、残り火でお餅などを焼いて食べ、健康・平和・幸福、無病息災を祈願した。
■2024.1/8;松川村「安曇野ちひろ公園」で、正月飾りやダルマを燃やして無病息災などを願う伝統行事「三九郎」が行われた。
園内には杉や竹などを使って高さ6mのやぐらが組まれた。15:00;三九郎に火が灯ると勢いよく燃え上がり、地元の家族連れなどが見守った。火の勢いが弱まり、子供たちは枝に刺した繭玉をあぶって味わった。小正月の伝統行事を楽しみながら、 一年の無病息災や五穀豊穣を願っていた。

■2024.1/8;松川村「安曇野ちひろ公園」で、小正月の伝統行事「三九郎」が行われた。
園の運営に携わるサポート隊やボランティアとして参加した地元の中学生、家族連れなど約70人が集まった。伝統行事に親しみ、無病息災や五穀豊穣を願った。公園では、60年前に村の子どもたちの手で作られていたというやぐらを再現。 当時やぐら作りを経験した住民の指導のもと、サポート隊が中心となり、高さ6mの巨大なやぐらを作り上げた。五穀豊穣と平穏な一年を願い、園にまつられた道祖神の前で着火。2024年の年男と年女が火種を運んでやぐらに点火した。

■松川村「安曇野ちひろ公園」で小正月にちなんだ「三九郎」を体験交流館北側で行った。
70人以上が参加し、昔ながらのやり方でやぐらに火をつけ、無病息災や五穀豊穣を願った。

「安曇野ちひろ公園」では小正月に備えた「三九郎づくり」を行った。サポート隊らを中心に村内外から約30人が参加し、昔ながらのやり方で、巨大な三九郎を作った。近場の山で切り出したマツ やタケで五段の骨組みを作り、河原で 刈り取った大量のカヤやマツとヒノキの枝葉で全体を緑に覆った。手慣れたサポート隊らが手際よく作業を進め、小さな子どもも興味深々な様子で手伝った。3時間以上をかけ、10m近い高さの迫力ある三九郎が出来上がった。

■2022年;松川村「安曇野ちひろ公園」で小正月の伝統行事「三九郎」が行われた。
コロナ渦で三九郎が中止になった各区から集められた正月飾りと共に大きなやぐらが燃やされ、多くの住民が一年の無病息災を願った。公園では2021年から、S30年代に子供たちだけで作っていたやぐらを再現して三九郎を行っている。 始めに年男と年女が公園内の道祖神をお参りしてろうそくに採火し、松川小の児童があんどんで運んだ。やぐらの前で他の年男年女がたいまつに火を移し、やぐらの松葉に着火すると、バリバリと音を立てながら炎が上がった。 行事の前には 体験交流館で餅の繭玉作りが行われ、親子連れ30人が参加。やぐらが燃え尽きて下火になると、柳の枝先に付けた色とりどりの繭玉を焼いて味わった。お汁粉も振る舞われ、訪れた人たちはほくほく顔で味わっていた。行事を中止した北細野区長は 「正月飾りの針金などを高齢の役員たちだけで分別するのが大変だった。製造段階で金具を使わない工夫をしてほしい」と。 ヒノキやカヤを使い、昔ながらのやり方で組まれた5m強のやぐらには、三九郎が中止となった地区から集まった正月飾りやだるまが飾られた。2022年の年男と年女が、園内の道祖神の前で着火した火種を使いやぐらに点火。煙と火柱が 勢いよく舞い上がり、爆音を響かせながら瞬く間に燃え尽きた。繭玉作りも行われた。色付けされた米粉を使い、野菜や花、動物など思い思いの形を作り、柳の枝に飾り付けた。参加者らは暖を取りながら、おき火に繭玉をかざして味わった。 園の畑で栽培した小豆を使ったお汁粉も振る舞われた。村内から家族と参加し、火種を運んだ女性は「今年も元気に楽しく過ごしたい」、公園サポート隊長は「大勢の人に来てもらえて良かった。穏やかな一年になれば」と。
園の運営に携わるサポート隊を含め、家族連れなど約130人が参加。昔の習わしに従って伝統行事に親しみ、無病息災や五穀豊穣を願った。ヒノキやカヤを使って昔ながらのやり方で組まれた5mのやぐらには、三九郎が中止となった地区から 集まった正月飾りやだるまが飾られた。2022年の年男と年女が園内の道祖神の前で着火した火種を使ってやぐらに点火。煙と火柱が勢いよく舞い上がり、瞬く間に燃え尽きた。

■松川村の保育園では正月飾りのまゆ玉づくりに挑戦。
大根や馬、イチゴなど思い思いにつくった色とりどりのまゆ玉を柳の木に付け、五穀豊穣を願った。この時季の同園の恒例行事。園児たちはまゆ玉のいわれを教わり、まゆ玉づくりに取り組んだ。一人ずつ柳の枝に、6色の色をつけた上新粉を 細かくちぎって巻きつけたり、星や蛇などに形作りながら枝を飾っていった。出来上がったまゆ玉はそれぞれ家に持ち帰り、三九郎の火などで焼いて味わう。

■松川村西原の「安曇の空の下自然保育季楽」で恒例の三九郎が行われた。
園児と保護者、近隣の親子連れや地域から大勢が参加。たき火を囲んで、弦楽器ライアーの演奏と絵本の読み聞かせが行われた。子どもたちは冬空の下、心地よい調べと物語に耳を傾け、「たき火」の歌などを声を合わせて歌った。 同地区の住民が炭火で焼いた自家製のお餅とぜんざいが振る舞われた。三九郎の由来や干支にちなんだ話に大人も子どもも興味深げに耳を傾けていた。

■2021年;全国的な新型コロナ感染拡大の影響で、松川村内では正月の伝統行事「三九郎」を中止した区が約半数に上った。
「屋外行事で3密には当たらない」として実施する区でも、感染予防には注意を払う予定。村内17区のうち8区が三九郎を中止。実施する区でも細野は子供を参加させない方針。従来通り行う区はマスクの着用などを徹底するとしている。 例年は各家庭が正月飾りを持ち寄って三九郎で燃やしている。このため村は「安曇野ちひろ公園」内で「三九郎」で中止した区などの家庭の正月飾りを一緒に燃やす。2021.1/11;ちひろ公園では繭玉作りを行い、15:00;三九郎に点火した。


白馬村・小谷村のおんべ・どんど焼き
■白馬村でも「どんど焼き」が行われています。大町・白馬・小谷では三九郎とは呼ばず、おんべ・どんど焼きが一般的。サンコロと呼ばれる。
秋の稲刈りが終わった田圃では藁を乾かす作業が行われ、わらは小正月の行事三九郎に使うもので、水分を切りやすいように円錐形に束ねて立てかけられます。
白馬森上では秋祭りで刈った茅をつみあげ、子供達が持ち寄った書き初め、お札、お守り、ダルマ、しめ縄などをまとめて燃やします。子供達にはおしるこ、大人は升酒が振る舞われ、夕刻には藁に火が灯ります。
白馬村では、昔は地区毎に「三九郎」をやっていた。白馬村では「三九郎」を「サンコロ」と読んでいた。いまでは神城・飯田・飯森など数ヶ所だけで殆ど消えてしまった。昔ながらに道祖神の前で子供たちが朝から準備にかけまわる。 高さ約2〜3mのやぐらに点火。強い寒風にあおられ勢いよく炎が上がると、周りの子どもたちから大歓声。火が弱まると米粉で作った「繭玉」を柳の枝の先に刺してあぶり、熱々を食べていた。「三九郎」は江戸時代に庶民を苦しめた 「重税」「凶作」「疫病」の3つの苦労を追い払うという説があります。夜空をこがす「三九郎」の炎に、今年の幸せを祈ります。

■2025.1/11-1/13;3連休に大北各地で小正月の伝統行事「どんど焼き」が行われています。
地域によっては三九郎やおんべ、左義長とも呼ばれ、正月飾りやだるまなど縁起物を竹で組んだやぐらとともに燃やし、正月に各家庭で迎えた年神様を炎で見送るとともに、一年の無病息災や家内安全を祈る。
1/11;青空が広がり、白馬村北城の白馬町では、地元有志でつくる白馬町活性化推進委員会が毎年恒例のどんど焼きを「白馬ウイング21」近くで行い、地域住民や子どもら約50人が参加した。

■2025.1/14;「小谷村保育園」で、無病息災や五穀豊穣を願う縁起物「繭玉飾り」を作った。
上新粉を練った団子を手で形を作り、蒸してから木の枝に飾り付け、小正月の伝統行事に触れた。

■小谷村で正月飾りや縁起物を焼き1年間の無病息災を祈る「どんど焼き」が始まった。
例年に比べて雪が少ないため、住民たちは火が燃え広がらないように注意を払いながら、伝統行事を通じて地域の絆を深めている。

■小谷村北小谷大網では「雪と火の祭典」が行われ、松明やかがり火に照らされた雪原で、古代ロマンあふれる舞や太鼓を披露されます。
山岳信仰を基に50年以上前から始まったお祭りで、祭場には四隅にかがり火がともされ、神の使いの若者が天空に火矢を放ち、雨飾山から神仏や祖先の霊を呼び寄せた。勇壮な姫川太鼓の響き渡る。みこが舞い、鬼にふんした若者がたいまつを 手にし、燃え盛る三九郎の周りを、いけにえの子どもを捜しながら駆け廻る。ふんどしにみのをまとった鬼の迫力に、祭場の近くに造ったかまくらへ、逃げ込む子どもたちも。雪の中で繰り広げられる幻想的な光景が見られる。

■2023年;小谷村千国雨中の小丸山で小正月の行事「歳の神」が行われた。
地区村民約100人が集まり、伝統の地域の行事で今年の無病息災を願った。持ち寄った正月飾りが高く組み上げられ、夜になって点火。おんべの先端につけられた宝箱が落ち、子どもたちが集めた。みかん撒きやまゆ玉焼きも楽しんだ。 松飾や門松を目印にやってきた歳神を天に送るのが小正月のどんど焼き。歳神様をお迎えした正月飾りをそのまま廃棄するとバチが当たるという考えから、燃やした煙にのせて天に送るという。さいの神は左義長とも呼ばれ、平安時代の宮中行事で、 3本の毬杖を結ぶことから「三毬杖」に由来をもつ。どんど焼、おんべ、三九郎なども同じで、正月飾りを燃やす小正月の行事で、この火であぶった餅を食べると健康で過ごせると云われいます。


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